飲食店で働けなくなったので、やりたくないことをやらせるサービスに手を出してみた。

昨年4月5月の緊急事態宣言のさなか、私がかつて2年と8ヶ月勤めていた吉祥寺のイタリアンレストランが閉店した。

荘厳なピザ窯が存在感を放つオープンキッチン、様々なリキュール&ウイスキーが並ぶ長いバーカウンターまで備えた比較的大きなハコであった。

 

30年以上の歴史を持つなかなか年季の入ったオシャレな空間。あのような雰囲気のあるイタリアンレストランはなかなかないのではないかと思う。

 

2020年5月で閉店になったのだが、私はその時すでにそこを辞めており、店長から連絡があった4月の終わりにはもう店は機能を停止していた。

 

「成生は今働いてる店は大丈夫か?」

備品たちが乱雑に置かれた店内で店長は私に尋ねた。

「いや、完全にダメージ喰らってます。人件費の問題で実質私も無職みたいなもんですし。」

力なく二人で笑いながら、静まり返った光景を見つめる。

「これから先、飲食は厳しくなるな・・・。」

「そうっすね・・・。」

大して話題が発展しないまま、寂しさだけが互いの胸を通り抜けた。

 

4月、5月と完全に職を失った私。

収入はなくとも年金や市民税や奨学金など追いかけてくるものは変わらない。

今後コロナが終息するとは到底思えなかったので、ひとまず極力安定した職を探すことに決めた。

 

居酒屋、ケーキ屋、バーテンダー、中華料理屋、イタリアン。

私が経験してきたものはすべて飲食店だった。悔しいが、時世に不利と言わざるを得ないものばかりだった。「安定職」を探している以上、今まで培ってきたスキルを発揮する場を見つけることは難しいだろう。

就職は考えなかった。こんな頭の中フラッフラな自分が、正社員で長く真面目に働き続けられると思えなかったからである。

自分の経歴を見つめてみる。本当に大したものがない。資格も特に持っていない。

しいて言えば、立命館大卒という世間的に見れば良さげなものだけである。

 

「世間的に見りゃそこそこの学歴・・・」

 

ベッドに放り投げていたスマートフォンを掴み、何かに憑かれたように「塾講師  アルバイト」の文字を画面に打ち込んだ。

正直、ブランクはある。ちゃんと勉強していたのは10年前の18歳である。自分がまだ知識を脳内に維持できているのか不安要素はいっぱいだった。

 

電話で塾面接のアポを取り、当日採用筆記テストがあるということを伝えられる。

 

「英語と日本史はセンター9割でした!」

こんなこと言わなきゃ良かったんだよ。

そうなんですね!!!という電話越しの弾んだ声に呼応して噴き出す汗。

まさか20代後半になって高校生に交じり参考書を買うことになるとは。はぁ…。

(ちなみにこれはおすすめ!)

 

 

 

あれほど必死に準備した面接前夜は初めてだった。

 

 

結局私は採用面接に合格し、晴れて塾の先生に。試験も中学領域だったのでなんとかなった。

まじでよかった。

 

ここから先生としての顔を持つ日々が始まる。

そう思うと気が引き締まった。

今まで、お客様の様子を伺いながら、ご来店中の時間を楽しんでいただけるサービスを尽くしてきた。心地よい空間を提供することに力を注いできた。

でももうそうじゃない。生徒たちからある程度慕われ、授業に集中させ、ちゃんと宿題をやらせ、成果を出させなければならない。それが彼らにとって心地よいものでなくてもやらせなければならない。

今回のお題「#この1年の変化」。私にとってはサービスの提供の仕方である。

人に何か影響を与えるという点では同じかもしれないが、やはり娯楽と教育では大きく異なる。勉強を楽しませることはこちらの役割として然りだが、やらなくていいのなら参考書もペンも捨てて遊びまくるだろう。

 

楽しむために来ている人と、やりたくないことをやるために来ている人ではサービスが違う。同じ業界にいるだけではきっと学べなかったことだろう。

現在、塾講師と居酒屋とバーを掛け持ちしているが、自分自身のいろんな顔を見つけられてとても楽しい。変化からのレベルアップを求めて意識高い系になってやろうか。

 

なんて言っちゃってる時点でたぶん俺、

勉強大好きだわ。(笑)

 

これも大きな1年の変化と言えるだろう。

 

メンタル系塾講師  成生隆倫

アフォリズムの底力 -- 英語で味わう世界の名言・放言・大暴言438 (底力シリーズ12)
 

(これ最近のおすすめ!シニカルで面白いよ!)